小野俊郎の
「されどバス釣り」
06月23日号

『霞ケ浦戦を振り返るVol.3』

さて、いよいよ初日がスタート。
朝一に入ったドッグでは、なんとカバークローの3投目にキーパーがバイト。一気に抜きあげ早々にファーストフィッシュをキャッチすることに成功しました。
ノーフィッシュ覚悟の試合の場合、早い時間でのキャッチは精神的にすごく楽になるものなのですが、この日のファーストフィッシュはまさにそんなバスでした。でも、この日の、いや、今回のトーナメントの本当のキーフィッシュは2本目のバスでした。
実はファーストフィッシュを早々にキャッチしたあと、2時間ほどは全くバイトがありませんでした。
あらかじめある程度バイトが遠いことは覚悟してはいたのですが、実際に試合となるとその精神的ストレスは並大抵ではありません。この日も折れそうになる気持ちをこらえながら、ふとある水門が目に入ったのですが、そこには前日まで陣取っていたコイ師がおらず、何気なく「やってみようかな?」という気持ちで近づいて行きました。しかしながら、ちょうど風裏だったということもあり、晴天&無風という決して良い条件とは言えません。そんなわけで、絶対にこれなら食うだろうという最終兵器、ヤミーのノーシンカーを迷わず投入。キャストは完ぺきに決まったのですが、やはりというべきかバイトはありませんでした。
今までならここでポイント移動となるわけですが、今回はもう一度同じ場所をカバークローのテキサスでフォロー。すると着底前に「カッ」という鋭角的な刺激がポイズン、パワーアプローチを襲い、反射的にフッキング!瞬殺ののち、3秒後にトライトンのデッキ上で暴れていたバスはわずか500gのバスではありましたが、どんなストラクチャーでも丁寧にアプローチしていく根気と、テキサスリグで押し通す勇気をくれた、僕にとってのキッカーフィッシュだったのです。
その後は完全にリズムに乗ることができました。
その後攻めたいくつ目かの水門では1300gという今度は本当のキッカーフィッシュを獲り、何と11時にはこの日4本目となるバスをキャッチしてすでにトータル2800gを超えるウエイトをマークしていました。もちろんこれらのバスもプラクティスではバスの反応がなかった場所からの魚で、まさに「今を釣る」ことができた結果だったのです。完全に自分のシックスセンスに頼った展開です。この時点で上位に入れるウエイトを持っていたこともあり、その後残った4時間は2日目以降のプラクティスに充てるものの、ウエイトアップはできなかったのですが、初日3位という絶好の位置からスタートできました。
2日目は、やはり初日と同じポイントからスタート。
ところが全くバイトがありません。ただでさえ魚影が濃いとはいえない霞水系で、しかもシャローカバーでの釣りともなると、初日に釣ってしまえば、新たなバスの供給がないことも考えられ、やはりノーフィッシュのリスクも限りなく大きくなっていきます。しかしながら、今回はかなり強い気持ちで攻め続けたこともあり、同じポイントに何度も入りなおすことによってタイミングを合わせ、11時のファーストフィッシュを皮切りに一匹ずつ釣果を伸ばし、ラスト一時間で前日見つけた水門で1300gのキッカーを獲り、なんと初日のスコアを若干上回るウエイトを出すことができたのです。
この時点で暫定2位。十分に優勝を狙えます。
でも、いままでこんな展開は何度か経験してきました。 たとえば昨年の最終戦である遠賀川も2日目終了時点で3位でした。ところが3日目は大失速で結局は入賞圏外。あまりにも優勝を意識しすぎ状況変化に対応できず敗れ去ったのです。
思えば、98年にワールドチャンピオンのタイトルを取って以来、手堅い、とか、クレバーなゲーム展開などという試合巧者のレッテルを張られたことに反発を感じ、知らず知らずのうちに、半ば自虐的なノるかソるかの展開を自らに強いてきたのですが、それが3日間ウエイトがそろわない悪循環に繋がってしまっていたのです。
もちろん自分でもそれはわかっていたのですが、なかなかそれを直すことができず、バランスを崩すばかりで長い間スランプに陥ってしまっていました。ところがここ数年、やっと復調の兆しも見え始め、2004年にはオールスタークラッシックでついに優勝。トップ50のランキングもシングルにまで戻すことができ、いよいよ自分でもバランスの良い状態にまで回復してきた手ごたえを感じていました。
続く
●Vol.1「はじめに」

●Vol.2「プラクティス初日と二日目」

●Vol.4「最終日。急変した状況下でどのように対応したのか?」


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